2016年 08月 13日
職人の後姿
家が完成するまでに、どれだけの職人力が集結するのでしょうか?
私にとっては、現場力=職人技。
職人さんの働く後姿が好きです。
この感情はいつ頃から芽生えたのか?
今日は、お盆の入り。朝から墓参りをして来ました。
父と母の眠る墓を。
亡き父の後姿。50年位前の写真が出てきました。
父は、戦後、熊本に沖縄から移住してきました。
そして、大手ゼネコン会社の大工として働いたのです。
勤務地は沖縄。戦後開発が進み、沖縄も建築ラッシュでした。
母と姉、そして、母のお腹には二女が。
熊本大水害の時、父は沖縄の現場にいました。
母と姉たちは、洪水の被害にあい、怖い思いをしたそうです。
それから、父は考えました。
家族の命を守る父親が、いざという時に,そばにいなくては。
そして、父は会社を辞め、熊本の中心部で商売を始めました。
その頃の父の後姿。
商売は下手でした。でも、大工仕事はプロ。
本棚や車庫など、友人の助けをえながら、何でも創っていました。
私が、職人の寡黙に仕事する後姿が好きなのは、父の面影を無意識に探しているのかもしれませんね。
今日は、近くにいるはずです。父も。
私にとっては、現場力=職人技。
職人さんの働く後姿が好きです。
この感情はいつ頃から芽生えたのか?
今日は、お盆の入り。朝から墓参りをして来ました。
父と母の眠る墓を。
亡き父の後姿。50年位前の写真が出てきました。
父は、戦後、熊本に沖縄から移住してきました。
そして、大手ゼネコン会社の大工として働いたのです。
勤務地は沖縄。戦後開発が進み、沖縄も建築ラッシュでした。
母と姉、そして、母のお腹には二女が。
熊本大水害の時、父は沖縄の現場にいました。
母と姉たちは、洪水の被害にあい、怖い思いをしたそうです。
それから、父は考えました。
家族の命を守る父親が、いざという時に,そばにいなくては。
そして、父は会社を辞め、熊本の中心部で商売を始めました。
その頃の父の後姿。
商売は下手でした。でも、大工仕事はプロ。
本棚や車庫など、友人の助けをえながら、何でも創っていました。
私が、職人の寡黙に仕事する後姿が好きなのは、父の面影を無意識に探しているのかもしれませんね。
今日は、近くにいるはずです。父も。
by iepro
| 2016-08-13 13:41
| ひと