くまもとの家to暮らし                              ファーレ通信 

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犬という家族と暮らす

子供の頃、実家でも犬を飼っていた時期がありました。
でも幼い私は、その犬がいつの間に居なくなったかの記憶も疑問もありません。

基本動物は好きです。
でも、買う、飼うということへは抵抗がありました。
ペットショップのケースに入っている動物を見ると心が痛くなります。
なので、そういう場所へは行きません。
飼うということへの責任はとても大きいと思っていました。
いつも飛び回っている私に、毎日の世話は無理!そう思い、子供たちとも動物を飼う暮らしはしていません。

そんな私にも、実の娘が友人からもらってきたシーズ犬との暮らしが13年前に始まりました。
私にとっては、複雑な心境です。
可愛いかったのですが、犬を飼う事は初めての経験。
子供たちは積極的に世話はしません。
結局は、私の娘になった犬です。
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この写真は、ちょうど1年前に山小屋で写したもの。
初めての雪にきょとんとしていました。
その娘も、天国へ行きました。2か月前の今日。

一緒に暮らし始めて半年位経った頃、急に歩けなくなりました。
前足が痛いのか?動きません。
いくつもの病院を回りました。
その当時は、毎回レントゲンを撮って調べるので、娘もきつかったはず。
その頃、人間恐怖症になりました。
最終的には、熊本市内の動物病院の副院長が、
「犬にも生きる権利はあります。
原因が私達では分かりませんが、日本で2番目に動物外科の権威のある先生が、大分の日田にいらっしゃいます。そこへ連れていきましょうか?」
と言って下さいました。
毎日苦しんでる姿を見てきた私には、天の声でした。
他の人に慣れない娘なので、先生に預けられず、
私は軽自動車に娘を乗せ、先生はワゴン車に他の診察を依頼する犬を乗せ、日田まで高速を走りました。
病院の診察が終わってからの出発。
夜の知らない道を走る不安より、娘が何とか元気になってくれるならの想いで、暗い道を一生懸命ついて行きました。
必死過ぎて、先生がETCを通過後、私は一般車の出口へ行かなければならないのに、先生の後を追ってETCに入り、止められた笑い話のようなことも。

県外から犬を自分で連れてくる人は初めてと言って、娘を一番に診察してくれました。
日田の先生は、ひと目見て娘の症状を。
人間で言えば、膠原病(こうげん)がリュウマチのような症状。
すぐ、鹿児島大学の獣医さんと電話で相談して、薬の調合を熊本の先生に指示されました。

今で言う、セカンドオピニオンです。
何軒も回った病院では、症状も分からず、薬ももらえず、安楽死がこの子のためなのかと、何度も泣きながら考えました。

足が動かず、歩くのが困難だった1歳の娘を何とかしたいと、抵抗なく動けるように、一緒にお風呂に入り、お湯の中で胴体を持ち上げ、水面下で足を動かしていました。犬かきをさせたのです。毎回、千回位、
きつくて嫌がる娘に噛まれながら、足が動いてほしいの一心で。

そのことを日田の先生に話しました。
「それは正解でしたね。リハビリとして、とても効果があったと思います。」
と言って下さいました。

それから、天国へ娘が行くまでの間、娘とは同じ布団で一緒に寝ました。
色々な事がありましが、お互いの体温に癒される日々でした。
晩年は、心臓病、乳がんを患いましたが、南阿蘇の穏やかな環境でホスピス状態でした。

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家を創る、家族として犬と暮らす。
暮らし始めて間もなく、看病が始まった日々。
でも動物も飼えば、家族です。愛しい存在です。
覚悟して、愛情をもって天命まで一緒に楽しく・・・。
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by iepro | 2015-02-06 09:39 | 想い